羽生ナビHANYU NAVI
コラム一覧にもどる

羽生を知るコラム・歴史

天然記念物になった3か月後、ほぼ消えた。羽生の食虫植物「ムジナモ」復活の60年

宝蔵寺沼ムジナモ自生地の看板と湿地(2018年撮影)

2026年で、国の天然記念物指定から60年。

羽生の人気者、食虫植物「ムジナモ」!

羽生市三田ヶ谷にある「宝蔵寺沼ムジナモ自生地」は、現在、日本で唯一のムジナモ自生地として知られています。

……と、ここまでは羽生ではおなじみの話かもしれません。

でも実は、このムジナモ。

国の天然記念物に指定されたわずか3か月後、台風でほとんど流されてしまいました。

指定されたのは、1966年5月4日。

その年の8月、台風14号によって宝蔵寺沼のムジナモはほぼ流出。その後、環境の変化も重なり、昭和40年代には野生下で姿が見られなくなりました。

では、なぜ今、宝蔵寺沼にはムジナモがいるのでしょう?

そこには、約60年にわたる保護と調査の歴史があります。

そもそもムジナモって何?

ムジナモ(Aldrovanda vesiculosa) 写真:Krzysztof Ziarnek, Kenraiz / CC BY-SA 4.0(Wikimedia Commons)

ムジナモは、水中を漂って生活する食虫植物です。

学名は「Aldrovanda vesiculosa」。

根を持たず、水面近くを浮遊しながら成長します。

葉の先には小さな捕虫葉があり、ミジンコなどの小さな水生生物が触れると葉を閉じて捕らえます。その速さは、わずか0.02秒といわれています。

文化庁もムジナモを「沈水性食虫植物」と説明し、その分布がきわめて限られる珍しい植物として、宝蔵寺沼の自生地を国の天然記念物に指定しています。

ちなみに、日本で最初にムジナモを発見したことで知られるのは植物学者の牧野富太郎です。

牧野富太郎(『牧野植物学全集』第1巻、1934年刊。ウィキメディア・コモンズ、パブリックドメイン)

ただし、牧野が1890年に発見した場所は羽生ではなく、江戸川の河畔、当時の東京府小岩村(現在の東京都江戸川区)でした。

羽生で初めて確認されたのは、それから約30年後です。

羽生で見つかったのは1921年

1921年9月、速水義憲によって、現在の羽生市域にあたる平島耕地でムジナモが発見されました。

速水義憲は、田山花袋の小説『田舎教師』に登場する関訓導のモデルとしても知られる人物です。

田山花袋(1915年9月撮影。ウィキメディア・コモンズ、パブリックドメイン)

かつてムジナモは各地に分布していましたが、環境の変化などで次々と姿を消し、宝蔵寺沼は国内最後の自生地となっていきました。

1949年には三田ヶ谷のムジナモが埼玉県の天然記念物に指定。

1961年には「羽生市むじなも保存会」が発足します。

そして1966年5月4日。

「宝蔵寺沼ムジナモ自生地」は、国の天然記念物に指定されました。

ところが――。

国指定から3か月後、台風14号

1966年8月。

台風14号による大雨で、宝蔵寺沼のムジナモはほとんど流出しました。

国の天然記念物になって、わずか3か月後のことです。

その後も生育環境の変化などが重なり、昭和40年代には自生地で野生のムジナモが見られなくなりました。

ただし、ムジナモそのものが羽生から完全に失われたわけではありませんでした。

保存会の人たちが、それ以前から宝蔵寺沼で採取していたムジナモを、自宅で栽培・増殖していたのです。

野生下から姿を消した一方、人の手元には「羽生のムジナモ」が残っていました。

放流しても、冬を越す株が出なかった

1968年には自生地の保護区域の買収が完了し、調査や環境整備が進められていきます。

1974年には埼玉県による緊急調査が、1976年からは羽生市による6年がかりの総合調査が行われ、その成果は1982年に『ムジナモとその生育環境』としてまとめられました。

1979年には放流実験が始まり、1985年からは自生地内での放流が続けられます。

しかし、放流した株は成長するものの、自生地内で冬を越し、翌春に再び浮上する株が見られない期間が長く続きました。

栽培したムジナモを沼へ戻せば、それで復活する。

そんな単純な話ではなかったのです。

1999年には、別の事件も起きています。

自生地内のムジナモが大量に盗まれました。

現在の羽生市公式ページにも、その出来事が保護活動の沿革として記録されています。

2009年、ほかの水生植物と一緒に育てる方法へ変えた

大きな転機になったのが2009年です。

宝蔵寺沼ムジナモ自生地の保存管理計画をつくるための緊急調査が始まり、埼玉大学の金子康子教授の指導のもと、放流の方法が見直されました。

放流場所を、イヌタヌキモやヒシなど他の水生植物が育っている場所へ変更。

さらに、当時異常に増えていたウシガエルのオタマジャクシがムジナモなどの水生植物を食べていたことから、その駆除も行われました。

すると変化が起きます。

2010年、冬を越して翌春に再び浮上したムジナモ約100株を確認。

40数年ぶりのことでした。

オタマジャクシが少なくなった場所では多様な水生植物が育つ環境が戻り、その中でムジナモも自然に増えるようになりました。

一方で、他の水生植物が増えすぎるとムジナモの生育が妨げられることも分かってきます。

ムジナモだけを守るのではなく、多様な生き物がバランスよく暮らせる環境をつくる。

それが、ムジナモにとってもよい環境だったのです。

その後、ムジナモは自生地で自然に増えるようになります。

2016年には15万株。

2020年代に入ると、100万株を超えるまでになりました。

保存会による放流は役割を終えたと判断され、2022年以降は行われていません。

現在の個体群は、毎年人が放流して維持しているものではなく、自生地の中で自然増殖しています。

2025年、「野生絶滅」から「絶滅危惧ⅠA類」へ

2025年1月、埼玉県が「埼玉県レッドリスト2024植物編」を公表しました。植物編としては13年ぶりの改訂です。

それまでムジナモは「野生絶滅」とされていましたが、新しい評価では「絶滅危惧ⅠA類」へ変更されました。

一見すると、どちらも危機的な分類に見えます。

しかし、この変更には大きな意味があります。

「野生絶滅」は、栽培下などでは存在していても、野生では生きていない状態。

そこから「絶滅危惧ⅠA類」になったということは、再び野生状態で生育する個体群として認められたということです。

羽生市によれば、埼玉県内で初めての野生復帰事例。

国内で野生復帰した植物としても、イノカシラフラスコモ(東京)、クロタマガヤツリ(千葉)に次ぐ3例目という、全国的にも珍しいケースです。

2026年、天然記念物指定から60年

1966年5月、国の天然記念物に指定。

その3か月後、台風でほぼ流出。

昭和40年代には野生下から姿を消し、放流を続けても越冬する株が現れません。

調査を重ね、生態系全体を考えた環境づくりへ切り替え、2010年に40数年ぶりとなる越冬個体を確認。

2020年代には100万株を超え、2025年には「野生絶滅」から脱しました。

そして2026年。

宝蔵寺沼ムジナモ自生地は、国の天然記念物指定から60周年を迎えました。

羽生市立郷土資料館ではこれを記念して、企画展「羽生のムジナモとその自生地―野生復帰に至るまで―」も開催されました。

羽生のムジナモがおもしろいのは、「珍しい食虫植物が残っている」ということだけではありません。

一度、野生下から姿を消した植物を、約60年かけて元の生育地へ戻しました。

その過程まで含めて、宝蔵寺沼ムジナモ自生地の歴史なのです。

ムジナモ復活の年表

年出来事
1890年牧野富太郎が江戸川河畔(東京府小岩村)で日本で初めて発見
1921年羽生市域の平島耕地で速水義憲が発見
1949年三田ヶ谷のムジナモが埼玉県天然記念物に指定
1961年羽生市むじなも保存会発足
1966年5月宝蔵寺沼ムジナモ自生地が国の天然記念物に指定
1966年8月台風14号でほとんど流出
1968年自生地保護区域の買収完了
昭和40年代野生下で見られなくなる
1976年羽生市による6年間の総合調査開始(1982年に報告書刊行)
1979年放流実験開始
1985年自生地内での放流を開始。越冬株が見られない期間が続く
1999年自生地内のムジナモが大量盗難
2009年緊急調査開始。放流場所の変更、ウシガエルのオタマジャクシ駆除
2010年越冬・再浮上した約100株を40数年ぶりに確認
2016年15万株を突破
2020年代100万株を突破
2022年保存会による放流を終了
2025年「野生絶滅」から「絶滅危惧ⅠA類」へ。県内初の野生復帰事例
2026年国指定天然記念物60周年

参考資料

(資料確認日:2026年10月4日)

ほかのコラムを読む